気づき日記

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半島では時間が遅れる理由

半島と書くと誤解する方がおられるかもしれないが、ここでは純粋に地形的な話である。また、時間が遅れると書いているが、決してそのことが何かを馬鹿にしているとか、蔑んでいるとか、そういう類ではないことを断っておく。むしろ羨ましいのだ。

例えば房総半島である。旅行で立ち寄った際に、道で竹籠を背負ったおばあさんに出会った。足袋を履いたその姿格好から言えば、数十年前に見たかもしれないような出会いであった。しかも竹籠である。何もかも忘れ去られてきた現代にあって、とても新鮮な出会いであった。ここでは昔のものが多数残されているのではないかと思ったのだ。首都圏から近いこの距離にあって、このギャップに驚いたのだった。

地形的に閉じた状況になっていると、文化が流入する際に滞留するのではないか。港に見られるように180度地形が解放されていると、四方八方に広がり、それが伝わった内陸にあっても、それがそこを経由してまた四方八方に広がる。それが半島を形成する地形にあっては隅々まで行き渡るのに、時間がかかるのではないか。そのように感じた。その理由はよくわからない。

同じ半島でも紀伊半島は違う。ある程度規模が関わると思われる。紀伊半島を海岸沿いに旅すると、さほど時間の遅れを感じることはない。円の半径が大きくなると、海岸線も180度解放された状況に近くなるからであろうか。ただし、紀伊半島の内陸部については、それは深い山であることからかもしれないが、未開の地が多数ある。そこはそもそも人が住んでいないのだから、本筋からはそれる。とこどころ十津川などの集落が点在するが、そこも時間の遅れを感じることはなかった。

伊豆半島はどうであろう。房総半島よりは小さいのだが、同様に時間は現代であった。観光地であるか否かもある程度は関係するのだろう。すると、房総半島は観光地ではないのか? そんなことはなく、内房、外房ともに随所に観光名所がある。

ここまで書いて、最初のおばあさんが特異点であったのではないかと、本末転倒な結論になりつつあるため、この件は保留として日本各地の半島巡りでもしてみようかと考えているところである。(890文字)