気づき日記

気の付いたことを書いています

信じているものを止めさせようとしたら

友人知人の信じているものを否定したらどうなるでしょう。

 

まず、太陽光の売り込みが有ったという家庭の話をしたい。

その家にはすでに太陽光がついているのだが、パワコンという機器(太陽光を交流に変える機械)を見たところ、あと何回使用したら壊れるので、新しいものに取り換えましょうという話だった。

自分はパワコンの機器の中身のわかる人間なので、それはすぐに嘘だとわかった。嘘をついて売り込みをした営業マン。そして、その嘘を知らずに話に載ってしまった家庭の主。

さすがに周りに相談してから決めようとしたらしく、嫁さんが相談を受けた。ところが嫁さんがしばらく話を忘れていて、自分はあとから聞いたのだ。

だが心配なく、親戚にも相談していて、購入は控えたようだ。

その話を聞いてから、SNSでその主に語り掛けた。「それは詐欺ですから、購入しなくてよかったですね」と。

当人は詐欺だと思ってはいなかったようだが、自分がその話をすると思わぬ反応が返ってきた。「これって詐欺なんですかね??」?マークが5-6個付く勢いで有った。要は静かに反発を食らったわけである。

 

こちらの認識としては、営業上の「嘘」は犯罪と思っている。だから詐欺と呼んだ。しかし当人は営業マンの人柄を信頼し、よき人として迎えているのだから、それを詐欺と呼ばれたら、気分が悪いのだろう。

ましていったん契約までしたのだから、詐欺に引っかかったとは自尊心が認めないという理屈もわかる。

嘘をつかれたことをうまく認識できていないのだろうか。まさか嘘だと信じられないのであろうか。技術的な話はともかく、もうすぐ壊れるのがわかるなんてこと、それは絶対にないことは説明したのだが。

 

もう一つ象徴的な出来事が有った。私が信じるものと、彼が信じるもの、それが異なった場合である。

彼がふと信じているものを実施したと言った。私はそれは問題があって、効き目の無いことだからやめたほうが良いと言った。彼は「そんなー」と返して来た。そりゃそうだ。信じている物の効果が無いなんてことは嘘でしょう。誰もそんなことは言ってないし。

その後、私は自分が収集している情報を駆使して説明した。が、これもSNS上でのやり取りだったため、彼は早々に逃げてしまった。高校来の友人である彼が不運に見舞われるのを止めたい気持ちが高まり、お前だから書くと断り、知っている情報を書き連ねたが反応は無かった。

 

共通するのは、信じているものを否定された場合の反応である。家族なら、例えば後者については、家族には話して理解てし貰っている。普段からの密接な関係上、説明すればわかってもらえる状態にある(これは幸せなことと気づく)。

家の主も、高校からの彼も、まあ自分とはそこそこの付き合いなのだから、あいつが言うことなら聞いてやろうかと、なっても良いと自分は期待していた。でもそうはならなかった。

 

双方とも、友人知人に対しての気遣いで有ったのにもかかわらず、最終的になんだかこちらが嘘つき呼ばわりされていると思うと、いたたまれなくなった。

表面上の話だけしてればよいのだろうか。よく海外では友人と政治の話をするなというのがあるが、これであろうか。

だとすればこれはなんていう格言になるのかな。双方とも日本人であるから、先人の貴重な体験がことわざになっていてもおかしくないだろう。